<カレン民族連合(KNU)の戦い> ←Back アジアの片隅で55年・世界で最も古い民族解放闘争 |
||||||
KNUボーミャ将軍「軍事政権は絶対信用しない」 アジアの片隅で55年。世界で最も古い民族解放闘争が終わりを迎えるかもしれない。 ビルマ(ミャンマー)の軍事政権と反政府武装組織のカレン民族連合(KNU)が2004年1月22日、仮の停戦合意に至った。 首都ラングーン(ヤンゴン)での停戦交渉でKNUを代表したのはボーミャ将軍。「ビルマ国軍を絶対に信用しない」といい続けた彼は、軍事政権から「テロリストの親玉」と中傷されてきた。 カレン民族が武装蜂起したのは、ビルマが英国から独立して間もない1949年1月31日。中央政府に自治権と民族の平等を求めたのはカレン族だけではなかった。
この内、第三国に影響する「人権」と「麻薬」は国際社会の関心事としてアウンサンスーチーなどはヒーローの如く国際社会から扱われる。しかし、民族自治を巡る問題は現在ほとんど触れられる事はない。 アジアの辺境で今尚、世界最長の内戦がつづいていると言う事実を知るものは少ない。 この仮の停戦合意が正式に調印されるのを固唾を呑んで見守るより他はない。
|
「2ヶ月前の月夜の明るい晩だった。子供と女性は家の中で、夫たちは外で眠っていた。銃撃が突然始まり、子供を抱いて家の外に飛び出した。逃げ遅れた2人の子供と両親が撃ち殺された。」 ヘーサーさん(33歳)はそこまで話すと、こらえきれずに泣き出した。5歳と12歳の娘2人に両親を失ったつらい記憶を思い出したのだ。彼女自身も砲弾の破片が三発、妊娠中の脇腹と顔に当たった。 「ビルマ軍はひどい連中。怖くて村には戻りたくない」 「頭を撃たれた女の子が一人、胸に二−三発の銃弾を撃たれた者が一人。怒りで仕返ししたいと思った。殺された者が気の毒だ。彼らは単なる村人で兵士ではないのに。」 ヘーサーさんと他の生存者の話を合わせると、国軍は事件の数日前、村人の生活を管理するための「戦略村」への移住命令を出していた。それを拒否した村人が山中の小屋に逃げ込み、襲撃を受けたのだ。 難民のビルマへの早期帰還を進めたいタイ政府の思惑に反し、難民予備軍といえるビルマ山中に逃げ込んでいる避難民は数十万人に及ぶといわれている。
35歳女性 2004年2月 カレン州 「DKBA軍とKNU軍の戦闘に巻き込まれるのが恐ろしいので、村を後にしました。私たちは普通の村人です。それなのにKNUに味方していると疑われます。村人は男女を問わず、DKBA軍やビルマ軍に無理矢理連れて行かれます。彼らのやり方に抗議するとKNU支援者だと疑われます。」 46歳男性 カレン州山中にて 「私は男だから、労働者として強制的に連れて行かれるのが特に怖いです。だから、隠れて住んでいるのです。」 32歳男性 カレン州山中にて 「タイの難民キャンプには行きたくない。自由が無い。それにあそこは私たちの土地ではない。私たちはどんなに貧しくて辛くても生まれた場所を離れたくないのです。」 51歳 男性 カレン州山中にて 「友達はみんな、12歳を越えるとタイへ働きに行くわ。私の兄妹もそう。この村に仕事はないもの。私の母は病弱で、私が面倒を見ているの。学校はやめたわ。父は去年のマラリアで死んだの。夢なんてないわ。私にはこの村しか行くとこがないもの。」 15歳 少女 2004年11月 カレン州ウィンカ村 KNUの拠点マナブロウが陥落した1994年、タイへの難民は約2万人だった。しかし、今12万人と膨れ上がっている。タイへすら逃げることの出来ない国内避難民も増加の一途をたどっている。 |