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<夏目漱石と倫敦>
最初の国費留学生
  
夏目漱石が英国への最初の国費留学生として、英語英文学研究のためにイギリスに来たのは、1900(明治33)年10月28日のことでした。彼の留学期間は1902年12月までのまる2ヵ年余りにおよびますが、その間、最初のガワー街の宿を含めて5回ほど下宿を変わっています。その中でも最後の5番目の下宿ミス・リールの家が最も気に入ったようで、一年4ヶ月滞在しました。近くにある赤いヴィクトリア時代の郵便ポストは当時を偲ばせてくれます。


狼群に伍する1匹のむく犬
 ロンドンでの漱石の生活は「倫敦に住み暮らしたる2年は尤も不愉快の2年なり」といわれています。確かにその不快がつのって、帰国の年1902年の夏頃には、医師の治療を要するほどの、今でいうノイローゼにかかったといわれています。しかし漱石が記している「余は英国紳士の国にあって、狼群に伍する1匹のむく犬の如く哀れなる生活を営みたり」というのは、必ずしも事実ではなく、漱石の一方的な思い込みだったのかもしれません。というのは、下宿の女主人ミス・リールにしても、漱石の病状を案じ、あれこれと親切に世話をしてくれた人たちなのです。
 また当時は日英同盟が締結され、イギリス人の対日関心度も高かったし、一般的に日本及び日本人には好感が持たれていたはずです。
 しかし漱石の「不愉快」の感情そのものは、事実であったと思われます。


その後


 しかしそれにも拘わらず、漱石の2年のロンドン生活は実り豊かな結実をもたらしました。『文学論』や『文学評論』をはじめ、『カーライル博物館』『倫敦塔』『自転車日記』や『永日小品』などの直接的な作品はもとより、後年の漱石の作家としての文学的成功は、このロンドン生活の経験を抜きにしては考えられません。彼がこの国で経験したものは、「近代」そのものであって、ここにおいて漱石はイギリスから真に学ぶべきものは学びとったのであります。



ロンドン漱石資料館
 ロンドン漱石記念館は漱石の5番目の下宿先であるミス・リールの家のまん前にあります。記念館内部には漱石留学当時の資料、特に漱石が出会ったロンドン大学のカー教授やクレイグ先生をはじめ、イギリス人たち、あるいは彼が目撃したロンドンの様子などが、当時の写真や新聞、雑誌などの資料によって展示されています。

漱石の作品
<倫敦塔>
ロンドン塔を舞台に塔にまつわる数々の歴史ドラマが幻想的な筆致で描かれる。


   
ロンドン塔内に残る囚人が刻んだメッセージ。漱石は著書「倫敦塔」でこれを「百代の遺恨」と表現している。

親友・正岡子規の死
夏目漱石と正岡子規は故郷、愛媛県松山市以来の親友であった。ロンドンへ行く為、日本を離れるとき正岡子規は東京で結核に感染し床に伏していた。枕元を尋ね、また会おうと約束した漱石のロンドンの下宿先に子規の訃報が届いたのはそれからしばらくしての事だった。

 
ここに明治23年森鴎外が借家して一年余りを過し、その後明治36年から39年まで夏目漱石が借りて住んでいた。 この家で鴎外は「文づかひ」などの小説を発表、漱石は「吾輩は猫である」を書き、 それぞれ文壇に地歩を進めた。