<クーデター>    
タイ・タクシン政権の落日
権力と金・タクシン首相



長年、国民の圧倒的支持を得て小泉政権並みの長期政権と権力集中型のトップダウン方式の政治手法により改革を推し進めた大財閥一族の家長タクシン首相。その手法に賛否両論ありながら結果としてタイを一定の発展に導いた。

しかし、今年1月に発覚した親族による巨額の汚職疑惑と南部のイスラム教徒との対立、それを見かねた民衆の信頼を集める国王からの政治手法に対する叱責等、により支持率は急速に低下、3月にはタクシン政権の反対を訴える数十万人規模の国民集会が行われ、情勢は緊迫した。

事態打開の為の解散総選挙に出た与党タクシン派に対して野党、反対派は選挙をボイコット。野党は誰も立候補しない異常な選挙が初夏に行われた。

選挙結果は立候補した与党のみの圧勝であったが、野党は選挙の無効を訴えた。これに対し、憲法裁判所は選挙の無効を認め再選挙を支持、タクシンを再選挙までの暫定首相とすることになる。

この混迷の中、タクシン暫定首相は数日前よりASEANの首脳会議および国連総会出席の為、ニューヨークに滞在。


06年9月19日 バンコクに戒厳令



一方、イスラム教徒のソンティ陸軍司令官は国政の不安定を理由に9月19日深夜のクーデターを企てる。

同日夜、その動きを察知したタクシン暫定首相はニューヨークからソンティ司令官の解任および非常事態宣言をテレビを通じて国民に演説を行う。

しかし、ときすでに遅く司令長官の部隊は首相府、議事堂、全テレビ局を夜10時過ぎに占拠、タクシンのテレビ演説を10分で中断させ、全土に戒厳令を敷き、憲法の停止および、政権の交代を宣言した。

翌日早朝、ソンティ陸軍司令官は国王に経過を報告、
国王の了解を取り、暫定首相に就任するとともに、
早期に民主国家に戻すことを確約した。

一発の銃声も聞かずにクーデターは成功した。
人格の優れた信頼を集める国王と半年にも渡る政治不信が導いた結果といえるかもしれない。