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 シリアのレバノン駐留と撤退  
シリアのレバノン駐留
  
1943年
レバノンは当時フランスの委任統治下にあったシリアの一部から独立。

1975年
レバノン内戦が発生。

1976年
シリアは「アラブ平和維持軍」3万人の中核として駐留した。

1982年
イスラエル軍がレバノン侵攻。

1990年
内戦終結したが、シリアは軍駐留を続け、政治、経済的に強い影響力を及ぼしている。

2004年8月
レバノン内閣は、親シリアのラフード大統領の任期を選挙なしで3年間延長する動きを見せた。

2004年9月1日
上記のレバノンの動きをシリアの圧力によるものとみた米国とフランスは、シリアの影響力排除を狙い安保理に決議案を提出。9月2日採択された。

2004年9月21日
シリア軍約3000人が撤退し、駐留は約1万4000人になった。

2005年4月26日
シリア軍の完全撤退完了

緊迫するレバノン情勢

中東レバノンの情勢が緊迫化してきた。長年にわたって駐留し、強い影響力を持ってきた隣国シリア軍の撤退をめぐり、米国など国際社会と、駐留継続を望む両国政府が対立を鮮明にしているためだ。  レバノン国内でも撤退を求める市民の声が高まる一方、シリアを支持するグループもいて、様相は混とんとしている。八日の両派による市民デモは双方が自制し衝突しなかったが、依然、予断を許さない。  一つ間違えば、一九七五年から十五年以上も続いた内戦に逆戻りする危険性もはらんでいる。

シリア軍撤退を求める動きが一気に高まったのは、反シリア派の急先鋒(せんぽう)だったハリリ前首相が先月、何者かによる自動車爆弾テロを受けて、死亡したことからだ。  
 
2月14日、レバノンのLBCテレビによると、同国のハリリ前首相がベイルートで車に乗っていたところを自動車爆弾による攻撃を受けて死亡。写真は事件現場で、助けを呼ぶ男性

犯行にシリアが関係したとの情報も流れて、真相糾明と軍撤退を求める市民や野党勢力が首都ベイルートで連日、大規模デモを行い、内閣を総退陣に追い込んだ。  

こうした民衆の動きに、米国や旧宗主国のフランス、サウジアラビアなどが呼応した。昨年九月採択された国連安保理決議に基づくシリア軍の完全撤退を、五月の総選挙までに完了するよう要請した。  これに対し、シリアのアサド大統領は、親シリア派であるラフード・レバノン大統領と会談し、部分撤退に合意した。しかし、完全撤退の意向は明らかにせず、国際社会から厳しい批判を受けている。  

その先頭に立つのが米国だ。ブッシュ大統領は八日の演説で「レバノン民主化のため、国連決議を履行し、完全撤退せよ」と述べ、あらためてアサド政権に迫った。  そもそも、国連決議は、シリア軍の駐留継続を狙うラフード大統領が自らの任期延長を盛り込んだ憲法改正を行ったことに、危ぐを抱いたハリリ前首相の要請で米国などが動き、成立させたものである。  レバノン政府などがシリア軍の駐留にこだわるのは、対立するイスラエルを牽制(けんせい)するためだ。これが、中東民主化をめざす米国の意向と対立する結果となっている。  レバノンは二十近い宗教・宗派住民が混在するモザイク国家で昔から政治的対立が絶えず、そのたびに、歴史的に関係の深いシリアが収めてきた。市民の間で今も「シリアとは健全な関係を」との声が多いのも、そんな背景があるためだろう。  となれば、外からの圧力だけで一気に民主化を進めるのは無理がある。モザイク国家が分裂しない打開の道を探りたい。
 



シリアの外交政策

<対イスラエル関係>

シリアは91年のマドリッド中東和平会議後は、和平を「戦略的な選択」であると規定し、国連安保理決議242及び338、並びにマドリッド和平会議の諸原則に基づく和平の達成(「平和と領土の交換」)を主張。94年末以来、数回の断絶を挟んでイスラエル政府との間でゴラン返還・和平交渉を行ってきたが、2000年3月のジュネーブにおけるアサド・クリントン会談後、交渉は暗礁に乗り上げている。
 2000年9月のパレスチナ大衆蜂起発生、2001年2月のシャロン政権誕生以降、イスラエルとアラブ側との立場の相違は拡大している。シャロン政権誕生後、イスラエルは2回に亘り、レバノンのヒズボラによるイスラエル部隊攻撃に対する報復としてレバノン駐留シリア軍施設を空爆した他、シャロン首相がゴラン高原入植地既成事実化に関する発言を行う等、シリアとイスラエル政府の間で緊張状態が見られていたが、2002年に入ってもヒズボラへの支援等についてイスラエルがシリアを度々非難するなど、両国関係は冷却化している。


<対米関係>
米はシリアをテロ支援国リストに掲載していたが、シリアが湾岸戦争において多国籍軍に参加して以来、中東和平プロセスの一時的な進展もあり、関係は徐々に好転に向かっていた。しかしながら、2000年9月以来のパレスチナ情勢の悪化、2001年9月の米国同時テロ事件後の米国の「テロとの闘い」を背景に、シリアのヒズボラやパレスチナ過激派支援を批判する声も米では見られる。またイラク問題に関し、シリアは2002年11月の国連安保理決議1441には賛成したものの、対イラク武力行使に一貫して反対し、イラク攻撃開始後はこれを明確に批判していることから、米・シリア関係は微妙な側面を孕んでいる。他方、アル・カーイダについては、シリアから米への情報提供も行われた由であり、米もこれを評価している模様である。

<周辺国関係>

シリアは、レバノンを特別の同胞国とみなして部隊を駐留させているが、近年では再展開等により少なくとも表面的なプレゼンスの緩和に努めている。また新大統領の下、トルコ、ジョルダン等周辺諸国との関係改善を図っている。
レバノンで大規模な反シリア・デモ、シリア軍の完全撤退など要求


 3月14日、ベイルートで、数十万人が参加した反シリア・デモが行われた。ハリリ前首相が暗殺されて以来、レバノンで行われたデモとしては最大規模という

シリア軍部隊のレバノン撤退、第1段階が終了
 
  
3月17日、レバノンに駐留するシリア軍部隊が東部のベカー高原に移動し、撤退の第1段階が終了した。 写真は16日、ベイルートから撤退するシリア兵

5月の選挙前にレバノンから軍を完全に撤退を!!

[国連 3月17日 ロイター] 国連のラーセン中東和平特別調整官は17日、アナン事務総長がシリアに対し、5月の選挙前にレバノンから軍を完全に撤退させるよう期待していることを明らかにした。
 シリアのアサド大統領との会談について、事務総長に報告した後に述べた。
 調整官は、5月を期限とすることについては国際的に広い意見の一致があるとしながらも、アサド大統領がその日程に協力するかどうかには、これまでと同様に言及せず、「そうした詳細には踏み込みたくない」と述べるにとどめた。
 また調整官は、シリアがこの日程を守らなかったらどうなるかとの質問に、国連安全保障理事会による制裁措置をちらつかせてアサド大統領に圧力をかけることはしなかったとしたうえで、「制裁は議論されなかった。他の選択肢はない。ただ順守を期待するのみだ」と語った。


  
16日、ベイルートにあるシリア情報機関の本部から家具などを運び出すシリア兵ら

2005年4月1日
【ベイルート=平本秀樹】レバノンのカラミ首相は1日、先月29日に表明した辞意を撤回、「もう一度、政権作りに取り組む」と再び組閣作業に入ることを明言した。

 1日夜にカラミ氏と会談したベリ国会議長ら与党国会議員は辞任を認めず、組閣作業を続けるよう要請、カラミ氏も最終的にそれを受け入れた。

 カラミ氏は、2月14日のハリリ前首相の暗殺事件後、国民の親シリア与党に対する反発の高まりを受け、同月末に首相を辞職。その後、3月10日に親シリアのラフード大統領に首相に再指名され、野党も参加する「挙国一致内閣」樹立を目指したが、野党の協力を取り付けられなかったため、再び辞意を表明していた。


2005年4月26日
レバノンから撤退完了 シリア軍、駐留終結 【リヤク(レバノン東部)26日共同】レバノンに29年にわたって駐留してきたシリア軍の最後の部隊が26日、レバノン東部ベカー平原リヤクの軍事基地からシリアへ撤退、これでレバノン駐留のシリア軍全部隊が撤退を完了した。
 同基地で行われた式典でシリアのハビブ参謀総長は、レバノン軍は「自国防衛の能力を持った」と演説。レバノン軍司令官はシリア軍のこれまでの役割に謝意を表明、「イスラエルという敵と対峙(たいじ)する上で、両国は今後も兄弟国として武器を取る」と強調した。
 シリアはレバノンの国政に大きな影響力を行使してきたが、5月末までに実施のレバノン総選挙で反シリア勢力が伸長するとみられており、両国関係は転換点を迎えた。宗教、宗派が多様なモザイク国家レバノンに“力の空白”が生じることで、15年に及んだ内戦の背景となった宗教対立の再燃も懸念されている。