ヨハネパウロ2世死去 ー悲しみのバチカンー |
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ジェメッリ(Gemelli)病院。 ローマ法王が2005年3月1日に呼吸困難の症状で入院した専用病院だ。 ローマ法王は、これまで全9回にわたり160日余りの間ここにいた。 1981年5月、トルコのムスリムの青年から銃撃されたローマ法王を手術して以来、この病院には24時間の待機組が作られた。内科・外科(心臓専門)・麻酔・放射線の専門家で構成されている。 主治医レナト・プジョネティ以外の医療陣のリストは機密。 病院の10階は、ローマ法王の寝室・浴室・祈とう室・食堂・応接間、ローマ法王の分身であるポーランド出身の秘書(大主教)と修道女の2人が起居する部屋まで備えてある
呼吸器系疾患の手術を受け入院していたローマ法王ヨハネ・パウロ2世が退院。広場に集まった数千人に手を振りながら、バチカンに戻った。当面は療養を続けながら幾つかの儀式に参加する予定という(2005年3月13日) 3月14日 [バチカン市 2005年3月14日 ロイター] 医療専門家らは14日、前日に退院したローマ法王ヨハネ・パウロ2世について、呼吸のため生涯にわたって喉に管を通した状態を維持しなければならない可能性があるとの見方を示した。法王は2月24日に気管切開手術を受けている。 専門家らは、呼吸用の管が清潔に保たれていれば感染のリスクはさほど大きくないとしながらも、最大の危険は感染とみている。 法王は、今後もバチカンで、呼吸や発生のリハビリ治療を続けるという。 |
ローマ法王 危篤 ローマ法王庁のナバロ報道官は2日昼(日本時間同日夕)、記者会見し、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)の病状について、時折、意識が遠のくなど「極めて深刻な状態」にあると発表した。 ナバロ報道官は、「(前日の発表以来)容体に大きな変化はない」としながらも、「意識(レベル)は低下した」と語った。だが、話しかけると目を開くなどの反応を示し「昏睡状態に陥ってはない」と言明した。 また、1日夜に法王は、「君たちを探していた。来てくれましたか。ありがとう」と、途切れ途切れに話したという。同報道官は、「若者たちと会ったことを思い出していたようだ」と述べた。 一部報道によると、有力枢機卿数人が1日、「最後の別れ」のため、法王の居室に招き入れられた。 同報道官は、これに先立つ1日夕には、「低血圧症状が徐々に進み、呼吸も浅くなっている」と説明。「重篤な状態」と発表した同日昼の段階より、「全体的な容体と心臓・循環器機能の状況が一層、悪化した」と発表していた。 2005年4月2日深夜 ローマ法王 死去 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世(本名カロル・ボイチワ)が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、敗血症性ショックなどのためバチカンの居室で死去した。84歳。約26年半の在位中、外遊は歴代最多の104回に及び、旧ソ連や東欧の民主化を後押しし、イラク戦争にも反対した。他宗教との和解に情熱を注ぎ、約11億人のカトリック信徒を束ねる指導者として平和の尊さを説き続けた。 1981年2月には法王として初めて日本を訪れた。 バチカン・サンピエトロ広場には3日、13万人の信者らが集まり、追悼ミサが行われた。 ![]() 4月3日、ローマ法王庁は、ローマ法王の遺体をバチカン・テレビを通じて世界に公開した。 遺体は4日にサンピエトロ寺院に移され、一般弔問を受ける。葬儀は今週中に行われる予定で、8日になる可能性がある。 葬儀には、ブッシュ米大統領も含め世界100カ国以上の首脳が参列する見通し。 新法王については、死後15─20日以内に、80歳未満の枢機卿がシスティーナ礼拝堂に集まり、投票を行い選出する。新法王が決まれば、礼拝堂の煙突から白い煙が上がることになっている。 |